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    卓越する大学2015 特集[ Special Interview ] 萱野稔人 先生

    ―― 国家とは何かについて論じ、2000年代の論壇に新風を吹き込みました。その一方で、女性ファッション誌で浴衣姿を披露したり、新聞やテレビからニコニコ動画まで、さまざまなメディアを舞台に幅広い活動を展開しています。

     なぜいろいろなことをやっているかということですが、自分が研究によって得た「知」を社会の中で試すことが重要だと思うからです。研究し、学生を教育することが大学教員の仕事ですが、そこに留まっているだけでは不十分です。私も知識人として社会の中に位置づけられている以上、いかに自分の知が社会で役立つことができるのか、自ら実践する必要があると思うのです。私自身、せっかくさまざまな形で機会を与えられていますので、「知」をめぐる研究者が社会にどのように関わっていくのか、そのモデルを示したいと思っています。

    理想を語ることは重要だが現実を忘れてはならない

    ―― 日本ではこれまで、哲学者が政治や経済を幅広く論じることは少なかった。

     いま、大学で哲学を教えている先生は哲学の専門分野のことしかやりません。しかし、昔のヨーロッパの哲学者は社会の問題について積極的に発言しています。哲学者だから哲学の本ばかり読んでいればいい、というのは本当の哲学のスタイルではないのです。日本ではたまたまそういうスタイルが確立してしまっただけで、哲学者はもっと行動的でした。あの物静かそうなカントだってフランス革命について語っています。社会と無関係に哲学をやろうという哲学者は、歴史から見ればむしろ少ないのです。私自身のやっていることは、実は哲学者の本来の姿だろうと思います。時代にコミットすることが哲学のスタイルなのです。

    ―― 日本の哲学者には観念主義的なイメージがあります。

     日本でも社会にコミットしている大学人はいますが、特徴的なのはいわゆる「べき論」が多いということです。そこに私は少し不満があるのです。というのも、こうあるべきだと主張しても、それが現実離れしていたら、それはその人の頭の中でしか実現できないことだからです。どんな理想を持っていても、それが実現できなければ何の力も持ちません。自己満足の議論になってしまいます。

     例えば、今後高齢者が増えていく中で、高齢者福祉をもっと充実させようというのはよい話です。しかし、高齢者福祉というのは、現役世代が働いてコストを負担してはじめて成り立ちます。その人たちの数が減って、高齢者の数が増えていったらどうなるか。働いている人の負担が増えて、払いきれなくなり、そのツケが将来の世代に回っていくわけです。その時、誰にどれぐらい負担を求めなくてはならないかを考えなければいけません。「べき論」だけを言う知識人は、私はもう通用しないと思います。

     もちろん、哲学者だから理想や理念を語ることは必要です。しかし、それは常に現実的でなければいけないと思うのです。理想は大事ですが、人間や社会は日頃もっと俗っぽいもので動いているのです。

    ―― 大学を卒業後、パリへ留学して哲学の博士号を取りました。一方で、フリーター生活も経験しています。哲学者を目指したのはいつ頃でしょうか。

     高校までは哲学にまったく無縁で、社会・政治問題に関してもほとんど触れることがありませんでした。大学に入って「こんな本も読んでないのか」と先輩にバカにされたくらいです(笑)。当時はちょうど現代思想ブームでしたから、『現代思想』という雑誌などを読んだのですが、難しくて何が書いてあるのか分からない。こういうところに書く人たちは頭がよく、私にとっては雲の上の存在だなと思っていたのです。

     就職活動もせず、目的意識がないまま卒業してフリーターを1年ぐらいやって、嫌になりました。当時は「フリーターは自由である」というイメージがあったのですが、その「フリー」というのは単にどこにも所属していないという意味であることが分かったのです。そこで、大学院に行き、“新卒”として就職しようと思い、フランスに留学。修士後に帰国しようと2、3年計画で行きました。

    ―― ところが、実際には9年も滞在することになりました。

     大学院で研究を始めたら、面白くなったのです。パリ第10大学で哲学者エティエンヌ・バリバールに師事したことが大きかったと思います。「知識人はこうあるべきだ」と感銘を受けました。その頃、学生時代に雲の上の存在だと思っていた『現代思想』から原稿依頼があり、評価されました。研究者を本当に目指そうと思ったのはその頃です。28歳のことでした。

    到来する“縮小社会” の未知なる課題に挑む

    ―― いま一番取り組みたいテーマを教えてください。

     もちろん、私は哲学の研究者としての自覚がありますので、狭義での哲学研究を専門的に突き詰めたいという気持ちがあります。ただ、それは一般の読者が読むような分野ではありませんから、それを置いておくとすれば、今後の「縮小社会」について考えることが最も重要だと自分では思っています。縮小社会というのは、人口が減っていく社会のことです。人口減少により経済の規模が縮小し、税収も減る。社会が縮小していくというのは、人類にとって初めての経験です。人口が増えて経済が成長し、経済規模が大きくなっていくというのが「近代化する」ということです。それが終焉し、いま日本は世界で最も早いスピードで縮小していると言われています。

     これまでに人類が体験したことのない事態で、社会保障をどうするのか、財政赤字や企業の業績悪化にどう対処するか、今後日本はそれを乗り越えていけるのか、といった問題が浮上してきます。また、世界の中では少子高齢化によって先進国の力が低下してきます。これに対し新興国が力をつけ、先進国と新興国との間で力関係が変わってくるでしょう。それによって私たちの知らない未知の課題が押し寄せて、国際社会を揺るがすような危機が起きる可能性があるわけです。その中で、どうすればその課題を克服でき、社会の危険を最小化することができるのか。それが私の最大のテーマです。

    ―― これから大学に入る若い人々にとって、“学ぶ” ということはどんな意義があるのでしょうか。

     近代化の結果、いまの社会は、人類の歴史の中でも非常に知的な社会になりました。そういう社会では、何をやるにしても「頭がいい」ということがプラスになります。頭の良さを養うことは、何歳になってもできますが、大学時代はそれが集中してできる時期です。

     よく「何のために勉強するの?」と聞かれますが、究極的には“頭をよくするため”です。勉強の一番の効能は「頭がよくなること」に尽きます。頭がよくなればよくなった分だけ、今の社会では、可能性が広がります。それは、良い就職ができる、といったことよりも大きな次元の話です。