生徒が「グローバル社会」を生きることを考えている学校
『フリーライダー』と言われないために
昨年のことだが、国連大学内の施設で、「幸福度世界一の子どもたちを育てるフューチャーセッション」というものがあった。
第1部がデンマークの教育についてのパネルディスカッションで、第2部はワークショップ。第2部では、5人くらいのグループに分かれて『幸福度が高いというのはどういう状態だろう』といったテーマについて話し合った。
ふつう初対面同士だと、進行役そのものが譲り合ってなかなか決まらないし、指名されてからはじめて意見を言う人が多い。ところがその会では、「私がリーダー役をやります」と、そうそうに立候補する人がいるし(女性)、全員(参加者の3分の2は女性)から積極的に意見が出てくる。
ワークショップ後、失礼ながら「みなさんよくしゃべりますね」と感想を述べた。と、一人の女性から「私は海外生活が長かったのですが、海外ではこうした場で自分の意見を言わないと『フリーライダー(無賃乗車)』と言われて、次の会に呼んでもらえません」と言われた。
従来型でない教育を模索する学校が生まれてきている
いま多くの学校は生徒にたくさんのことを教えることに熱心だ。生徒にたくさんの知識・情報を「インプット」することに大半の労力・時間を使っている。学校が、シラバス(いつ何を学ぶかということをわかるようにした工程表)を作成し、早朝学習から放課後までの学習システムを構築し、生徒は用意されたものをその通りやればいいだけになっている。
そうした受け身の姿勢で、「教えてもらうことが勉強」と思っている生徒が実際に大勢いる。
最近、それでは「マズイ」と考える学校が出てきた。「グローバル」を冠した新しいタイプのコースを設けて従来型でない教育を実践しようとしたり、長期・短期の留学や多様な海外研修の機会を用意したり、生徒に「グローバル社会」を生き抜く力をつけようと工夫している。
日常の学習でも、教科の知識をインプットするだけではなく、「プロセス」「アウトプット」にも力を入れだしている。
わが子を将来『フリーライダー』にしないためにも、保護者には偏差値や大学合格実績といった数字ではなく、そうした学校の教育姿勢に注目して学校選びをしていただきたいものである。